「直示による定義」というのは、リンゴを指さして、「これがリンゴです」というものです。
「そのもの」を見せたり、ふれさせたりして直接相手に理解させます。
「言葉による定義」は直接、対象を示さず、対象を示す「言葉」で定義します。
「言葉による定義」の例は、「右は北に向かって東の方です」というものです。
これは意味を考えると、何も新しいことは言っていません。
聞き手が、この定義で「右」を正しく理解できたなら、「北」も「東」も知っていることになります。
「北」と「東」を知っているということは、すでに「右」という方向を知っていたのです。
ですから、「右は北の方に向かって東の方です」という定義は、「右は右です」と同じことです。
言葉については、「北に向かって東の方を右と呼びます」と言っているだけです。
「右という事柄」を定義しているのではなく、「右という言葉」を定義しているだけです。
「言葉による定義」は、新しいことを表現できません。同じ意味の言葉で言い換えていることになります。
同義反復です。
新しいものごとを「知る」には、「直示による定義」が必要です。
つまり、「体験から学ぶ」ことになります。
ウィトゲンシュタインは「哲学探究」を書いたときには、アリストテレス的立場を捨てています。
「言葉」を厳密に定義して、正確に語ろうとすることは、できないと見ています。
「哲学探究」の中で有名な言葉が、「語の意味とは言語におけるその使用である」です。
わかりづらい表現です。
「言葉」はそれだけでは意味を持たず、使われる状況の中で意味を持つというのです。
そして、話すことを学ぶ段階の子供に,言語を教えるとは, 「説明することではなく,訓練すること」だと言います。
ヴィゴツキーの「内言論」を読んでからここに来た人は、よくわかるかもしれません。
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