警告
このページには、看護教育者、指導者、大学教授、看護界の偉い方々が、不快に思われるだろうことが書かれます。
生きてきた中で、「おまえの言うことなんか聞きたくない」と思ったことのある方は読まないでください。
医療にコラボレーションが叫ばれて久しいです。
「みんなで協力して、疾患に悩む人を助けましょう」という理念は素晴らしいものなのでしょう。
わたしが外科医としてストーマケアを学び、実践を始めたときは、そのようなときでした。
しかし、時は流れ・・・
最近のコラボレーションの意味は違うもののようです。
「褥瘡の治癒には、栄養も湿潤環境も、接触圧も、リハビリテーションも関係しているから、医師、看護師、薬剤師、理学療法士、事務のコラボレーションが大切だ。いろいろな業種の代表が集まって対策が必要だ」と言われ、褥瘡対策委員会がほとんどの病院に作られました。
これを看護管理分野の偉い方は、「看護の独自性が認められ、コラボレーションが進められた」と誇らしげに語るかもしれません・・・が。
わたしは昨年度、当院の褥瘡対策委員会の委員長に就任しました。
まず、褥瘡対策委員会の委員から事務職を抜きました。
いつも出席している必要がないからです。
物品の購入の時に、連絡すればよいのです。
院内講演会を行ない、創傷治癒についての現在の考え方を講義し、当院で採用になっている被覆材の使い分けを説明します。
使うものは、ラップ、テガダームなどのフィルム材、デュオアクティブ、ソーブサンプラス、紙おむつくらいです。
使うものが多くなると、選択に迷いますから、できるだけ減らしました。
原理がわかれば、製品ごとの特徴は、使い方でカバーできるでしょう。
2週に一回、回診し、ケアのアセスメントを行ない、詳細なレポートとして、看護師のケアに対するフィードバックを返します。
体位変換と、動きの支援が必要なことを返します。
1年後、 薬剤師から「褥瘡対策委員会の委員を辞退したい」と言われました。
喜んで、抜くことにしました。
普段は軟膏や薬剤をまったく使わないのですから、特殊な薬剤を必要なときに連絡すればよいのです。
院長に許可をもらい、その足で栄養士の所に行きました。
「薬剤師は褥瘡委員会から抜けることになったけど、栄養士も抜けないかい?」
NSTがあるのですから、そちらで活躍してもらえばよいのです。
栄養士は、褥瘡を見なければ栄養管理ができないわけでもありません。
栄養学自体、褥瘡の栄養についてそんなに解明されていません。
必要なとき連絡することにしました。
このようにして、褥瘡対策委員会は、結局、委員長のわたしと看護師の委員のみとなりました。
いろいろな業種が必要もないのに加わっていると、小回りがききません。
何でも集めればよいのではありません。
困ったときに、専門家に相談できればよいのです。
その程度のコラボレーションで充分です。
看護師のベッドサイドの能力が高ければ、褥瘡対策委員会は不要になるか、少なくとも2回/年ですむでしょう。
そうなれば、褥瘡学会も認定師も不要になります。
そして、わたしは褥瘡回診の時にもっとも問題となって見えてくること=介助について、院内で体験セミナーを行なうことにしました。
褥瘡の発生原因は、栄養不良でも、心不全でも、腎不全でも、皮膚の湿潤でも、低酸素症でも、薬の間違いでもありません。
昔からわかっていたのです。
褥瘡の原因は、「動きの欠乏」または「不適切な動き」です。
どんなに栄養状態が悪くとも、どんなに循環が悪くとも、適切に動いている限り褥瘡はできません。
栄養不良が原因の皮膚病変は潰瘍ではなく、落屑やひ薄化で現れます。
褥瘡は必ず、皮膚が外界のものと接触したところにできるのです。
動きの欠乏が質の低下により、接触した皮膚に力が加わるから、褥瘡になります。
ですから、褥瘡の予防にも治療にも必要なものは、接触の改善です。
介助の質が低ければ、褥瘡ができやすくなります。
介助の質が上がれば、褥瘡はできづらくなり、治りやすくなります。
栄養や全身状態の低下は褥瘡の治癒が遅延する要因になり得ますが、できる原因にはなりません。
あくまでも、原因は「不適切な接触」や「動きの欠乏」なのです。
というわけで、褥瘡委員会が最初に行なうべきことは、介助の質の改善になります。
このように考えて、院内の体験セミナーを1か月に2回づつ行ないました。
1年間、行なってみて、つくづく感じました。
「看護師の介助能力がない」
「足りない」のではなく、「ない」のです。
看護師が学校で教えられたことは、「動かす」ことです。
未だに、看護雑誌には介助とは動かすこととして書かれています。
ボディメカニクスの変形の古武術介護というものが、良いものとして雑誌で宣伝されます。
でも、介助者にもっとも必要なことは、「動きと接触を感じる能力」なのです。
セミナーの時に受講している看護師といっしょに動いてみると、びっくりします。
正直に言うと、「がさつ」です。
とても、がさつです。
「せーのっ」とか、「1,2の3」というかけ声を平気でかけます。
患者さんに動く時間を提供せず、すぐに力任せに引っ張り押します。
なんにも気にせずに、動きの遅い患者さんに「がんばって」と言います。
相手の能力を改善しようとして、力のない患者さんに「膝に力を入れて」と言います。
善意だと思いこんでいる押しつけ行為を指摘しても反省しません。
自分が、患者さんに何をしているのかに気づいていません。
「褥瘡ケアはコラボレーションが大切」という看護学教授は、エアマットレス、接触圧計、評価スケールを宣伝したり、売りつけますが、上手な介助は指導しません。
「体圧分散」を唱える看護学教授が上手に介助しているのを見たことはありません。
やっていることは、評価をしてエアマットレスを入れることを押しつけて、褥瘡はないけれど動けない患者さんを作り、療養病棟に送り込むことです。
そんな教授は、エアマットレスを入れない患者さんや、その家族に介助の考え方ややり方を身をもって指導することなどしません。
そんな教授は論文をたくさん書きますから、評価が高くなります。
修士や博士の肩書きを欲しい人は、そんな教授のいる大学院に行きます。
そこからは、動きの支援はできないが、統計処理のやり方だけは上手な看護学博士、看護学修士ができてきます。
「知っている」、「できる」、「やっている」ことは、全く違うのですが、今の看護では、いっしょです。
言葉で知っていれば、「できる」と思いこみ、雑誌や本を読んでやってみて、できなければ「教え方が悪い」か、「あれは使えない」と平然と言い放つ人々がいます。
上手な介助をしてもいないのに、在宅や病院の看護力を「知識」で比較して論文を書きます。
看護教育に携わる人、看護協会のお偉い人々、看護管理の名の下にコラボレーションをうたう人々に考えてもらいたいことがあります。
コラボレーションに必要なことは、お互いの職種に対する理解と敬意でしょう。
わたしは医師として看護師には理解と敬意を持ちたいと思います。
しかし、大学教授を含めて、今、わたしの目に映る看護師の多くは、がさつで自分の腰を守ることも患者さんの動きの支援もできません。
そのようながさつさが、自らの腰を壊す元になっていることも知りません。
「がんばって、腰を悪くして燃え尽きた」と表現したりします。
わたしから見ると、自分の体の動きも知らない人々が介助を行ない腰を壊しただけです。
身の程知らずの介助をされるくらいなら、退職してももらう方が、患者さんにとってよいことでしょう。
でも、実際はそのような身の程知らずで腰を悪くした看護師は「がんばった」とほめられるのです。
がさつでも腰を壊さない頑丈な看護師は、反省することもなく、偉くなるかもしれません。
そんな人が、医師を始め他の職種ににコラボレーションを求めているのかもしれません。
わたしは2000年からキネステティクスの導入に関与してきました。
当時から、ともにキネステティクス、フェルデンクライスメソッド、アレクサンダーテクニーク、センサリーアウェアネス等の学習を行なってきた看護師の友人と話します。
「現在の看護教育に足りないことは、キネステティクス以前だね。」
「そうですね。キネステティクスの概念で動きを言語化し、看護記録や看護診断に生かす前に、フェルデンクライスやアレクサンダー、シャーロットセルバーの教えた『感じること』から、始めなければならないですね。」
「そう、だから、キネステティクスのセミナーをやってといわれても、まず『感じること』のセミナーから始めちゃうよね」
看護教育は4年生大学が増え知識を詰め込むようになったそうです。
そして、実習時間を減らしたと言います。
また、病院に学生が実習に来ると、実習の行為について、同意書が必要になりました。
ますます、実習をやりづらくなります。
患者さんと身体的接触をする機会は、どんどんなくなります。
相手といっしょに動くときの自分の体の動きを感じるチャンス、動きの問題に気づくチャンスを得ることもなくなりました。
そして、新人看護師になると、「新人は使えない、できない」と言われます。
あたりまえですね。
自分の体の動きも知らないのですから、動きに問題を抱えている人の介助なんかできるはずもないのです。
そうして、患者さんの介助を嫌がるようになります。
資格を持たない助手さんの方は、自分の体が資本ですから、上手になります。
そのような技能の高い助手さんに、技能のない看護師が指導することはできません。
でも、職階は看護師の方が上なのです。
とんでもない職場環境ができます。
その中で、患者さんは療養するのです。
わたしの病棟で、一番介助の上手なのは、医師であるわたしです。
そのような医師が、看護雑誌に看護界のお偉い方が「コラボレーション」なんて書いているのを見かけると、「まず、看護師の捨てた『感覚』を取り戻してから言ってくれ」と思うのです。
統計学や力学で語る看護学教授の言葉に感動はしません。
でも、動けないと思われた患者さんが、自然に動くのをてつだう看護師の動きには有無を言わさぬ説得力があります。
看護の独自性とは、統計学や力学や経営学ではなく、介助でしょ?
今年も褥瘡対策委員会では、1か月に2回ずつ、体験セミナーをすることにしています。
わたしが行なう療養や褥瘡回診の治療効果を上げるために、上手に介助してもらうことが必要だからです。
わたしの治療にコラボレーションを求めて、「動きの学習」を看護師に提供します。
コラボレーションは、「協力して働くこと」であり、一方的に与え続けることではありません。
一方的に与え続けるだけで、何も返ってこないとむなしくなります。
わたしの友人の看護師は、そんな状態を「エネルギーを抜かれる」と表現します。
看護師が「動きの支援」に気づき、真摯に自らの動きを反省しなければ、褥瘡ケアのコラボレーションなんか、空虚な言葉なのです。