30度側臥位の根拠の不思議

 褥瘡予防に対して、30度側臥位が推奨されました。

 その根拠となったのは、 スイスの W.O.Seiler の論文です。

 W.O.Selerは多くの文献を書いています。

 PubMedを使うと、抄録を読むことができます。

 まず、W.O.Seilerの初期の論文の抄録を読んでみましょう。

Geriatrics. 1985 Sep;40(9):30-44.

Decubitus ulcers: treatment through five therapeutic principles.

Seiler WO, Stahelin HB.
老人病学 1985 Sep;40(9):30-44.

褥瘡:5つの原則による治療
 Without relief of localized pressure, no healing is possible, and all other therapeutic measures are futile.
 局所的な圧迫が除かれなければ、治癒はありえないし、他のすべての治療法も無駄になる。
 If other factors are mistakenly blamed (incontinence, perspiration, malnutrition) attention may be diverted from the essential--relief of localized pressure and maintenance of patient mobility.


 もし、失禁、発汗、栄養不良という他の要因を、誤って原因と考えると、局所の圧をのぞき、患者の動きの能力(mobility)を保つという基本的なことから、注意がそれてしまうかもしれない。
 Dressings should protect healing ulcers from mechanical damage and external bacterial recontamination after removal of pathogens by local disinfection.


 局所を消毒して病原菌を排除した後にドレッシングを使うことで、治癒していく潰瘍を機械的刺激や、再感染から守ることができるだろう。
 Dressings should be kept moist with Ringer's solution to create conditions that promote new granulation.


 ドレッシングは、新しい肉芽の成長を促すようにリンゲル液で湿らせておくべきである。


 褥瘡予防の根本は、動きや移動の能力(mobility)を保つことであるという主張から見て、W.O.Seilerは、たぶんナースでしょう。

 「患者の動きの能力を保つという基本的なこと」と書いているのですから、褥瘡は動きの欠乏や不適切な動きで起こるということを理解していたようです。

この原則をふまえた上で、湿潤環境という新しい概念を、褥瘡治療に持ち込んだことは、1985年当時の新しい考え方でした。

 ガーゼをリンゲル液で湿らせてウェットドレッシングにして、創を乾かさないというのは画期的だったのです。

 しかし、「局所的な圧迫」にこだわるところが、ちょっと困りものです。

 「動きの能力を保つ」ということから、注意が逸れています。


 上記の論文の1年後に、W.O.Seilerは、ひとつの論文を発表します。

 これが、日本中に「30度側臥位を2時間ごとにしなさい」という考え方を広めるのに使われました。

 どんな論文なのか、抄録を見てみましょう。

Gerontology. 1986;32(3):158-66

Influence of the 30 degrees laterally inclined position and the 'super-soft' 3-piece mattress on skin oxygen tension on areas of maximum pressure--implications for pressure sore prevention.

Seiler WO, Allen S, Stahelin HB.


老年学 1986;32(3):158-66

 30度側臥位と「スーパーソフト3ピースマットレス」が最大圧領域の皮膚の酸素分圧に与える影響 
− 褥瘡予防への応用
The measurement of the transcutaneous PO2 (tc PO2) demonstrates that localized pressure on skin sites under bony prominences (e.g., the sacral and trochanteric areas) decreases the tc PO2 at these skin positions to zero when subjects are lying motionless on a normal hospital mattress.
 皮膚の経皮的酸素分圧(tcPO2)を測定したところ、標準的なマットレスの上で動かずに寝ていて、仙骨や大転子という骨の隆起する部分の下になった部分に局所的な圧迫がかかると、経皮的酸素分圧はゼロにまで低下することが示された。
This explains the high risk of pressure sore formation in elderly patients, who have a greatly reduced frequency of involuntary movements.


 これにより、意識しないでも行なっている動きをほとんどしなくなった老人の患者で褥瘡のリスクが高まることが説明できる。
Therefore, the first principle of pressure sore prevention is the elimination of localized pressure on both the trochanteric and sacral skin areas simultaneously.


 以上の理由から、褥瘡予防の第一原則は、大転子部と仙骨部両方の皮膚にかかる局所的な圧迫を同時になくすことである。
This can be achieved by bedding elderly patients who are at risk on a 'super-soft' mattress and by turning them regularly to the 30 degrees laterally inclined position.


 リスクのある老人の患者を「スーパーソフトマットレス」のベッドに寝かせ、定期的に30度側臥位にすることで、この原則を達成できる可能性がある。
With healthy adults, placed in this position, both the skin areas over the trochanteric and sacral bony prominences remain almost free from pressure and thus normally oxygenated.


 健康な成人を30度側臥位にすると、大転子と仙骨部の骨の隆起している部分の皮膚にはほとんど圧がかからず、通常通り酸素化される。
In addition, the tc PO2 measurement allows an immediate assessment of the efficacy of a procedure for sore prevention.


 さらに、経皮的酸素分圧を測定することで、褥瘡予防法の効果について直接評価することができる。


 これが日本で30度側臥位の根拠となっている論文です。

 「30度側臥位は骨突出のない殿筋で圧迫を受けることができ、褥瘡発生の危険を少なくできます(東京大学・金沢大学保健学科褥創研究室)」と主張する根拠としてあげられています。

 でも、この抄録を読んでみると、「30度側臥位で褥創発生が減る」とは書いていないのです。


 経皮的酸素分圧の低下=褥瘡の発生というのは、この論文では証明されていません。

 健康な成人では、30度側臥位のほうが皮膚の経皮的酸素分圧が下がりづらいと書いてあります。

 しかし、リスクの高い老人の患者で褥創の発生率の低下を確認したとは書かれていません。

 褥創のできている患者さんで30度側臥位を試したとさえも、書かれていません。

 よく考えてみればわかることです。

 褥瘡ができてしまった患者さんでは、このような測定は現実的に不可能です。

 また、褥瘡ができそうな患者さんで、褥創が発生するかどうかを観察したら人道問題です。

 こんなことは検証できないのです。

 ですから、皮膚の酸素分圧の低下=褥瘡の発生は、永久に仮説でしかありえません。

 つまり、経皮的酸素分圧による判定では、褥瘡の発生について30度側臥位の有効性は結論できません。

 ですから、この論文から  「30度側臥位は骨突出のない殿筋で圧迫を受けることができ、褥瘡発生の危険を少なくできます」と書くのは言い過ぎです。

 「殿筋で圧迫を受ける」という表現も、現実とは違うことは、ここに書きました。


 ところで、involuntary movements は「不随意運動」と訳されるかもしれません。

 しかし、それでは「不随意運動の頻度が著しく減った患者で褥瘡ができやすい」ということになります。

 ここで involuntary movements といっているのは、「自分で意識していない(小さな)動き」のことです。

 寝ていてモゾモゾと動く、ちょっと足を曲げる、肘を曲げるという動きのことです。

 私たちは、そんな「意識していない小さな動き」をすることで、褥瘡にならないのです。

 そんな involuntary movements 「意識しないでも行なっている動き」をしなくなった人が褥瘡になりやすいと、Selerは言います。

 素晴らしい理解だと思います。

 ところが、ここでSeilerは2つの「勘違い」をします。

 1つめの勘違いは、上にあげたように経皮的酸素分圧の変化だけで、褥瘡の発生リスクが説明できると考えたことです。

 経皮的酸素分圧の低下が少ない体位が患者さんにとって良い体位だと考えました。

 ちょっと考えれば、温度や力の掛かり方など多くの要因が関係しているとわかるでしょう。

 経皮的酸素分圧という測定しやすい方法のみで人間を測定できると考えたのが大きな勘違いでした。

 2つめの勘違いは、さらに大きい。

 患者さんに足りないものは「意識しないでも行なっている動き」だと気づいていたのに、それを無視したことです。

 自分が「動きの支援」をできないので、動きを支援するという解決方法は存在しないかのように考えました。

 1980年代のスイスでは、仕方のなかったことなのでしょう。

 人間は、自分の持っているツールでしか、世界を測定できません。

 どんなに科学的と考えていても、この限界は存在します。

 自分の持っている理論によって、自分の考え方が歪められるのです。

 これを「理論負荷性」と呼びます。

 自分の持っているツールでしか、世界に働きかけられません。

 1980年代のスイスで、経皮的酸素分圧の測定は画期的なツールであったのでしょう。

 1980年代のスイスでは、「人の動きを支援する」という考えは、まだまだ、看護に入っていなかったのでしょう。

 1980年代の最先端の理論は20年たっても、修正されず日本中を席巻しています。

  さて、W,O,Seiler は考え方を変えたのでしょうか?

 1991年の論文を見てみます。


Ther Umsch. 1991 May;48(5):329-40.

 Decubitus ulcers in geriatrics--pathogenesis, prevention and therapy
 (Review)

 Seiler WO, Stahelin HB.

治療展望 5月号;48(5):329-40.

 老人の褥瘡 その病理発生、予防、そして治療
Magnitude and duration of interface pressure are the crucial etiological factors in the decubitus ulcer formation.

 接触圧の大きさと持続時間は褥瘡発生の重要な原因である。
Small amounts of interface pressure that exceed the average capillary pressure (range: 2.7 to 6.3 kPa) may lead to compression of the skin microcirculation and resultant tissue necrosis when a critical duration of interface pressure of more than 2 h is reached.

 危ない接触圧が2時間以上続いたときに、接触圧が平均毛細管圧(2.7〜6.3kPa=20〜47mmHg)をちょっと超えると皮膚の微小循環が圧迫され、皮膚の壊死が生じる。
The principles of decubitus ulcer prevention are derived from the pathophysiology of ulcer formation as noted: reduction of interface pressure below 3 kPa by bedding each at-risk patient on a 'super-soft' mattress and shortening the duration of interface pressure below 2 h. by turning of patients from the supine position to the right and left 30 degrees oblique back position every two hours.

 褥瘡予防の原則は潰瘍発生の病理学を基に導くことができる。つまり、危険性のある患者を「スーパーソフト」マットレスに寝かせて、局所の接触圧を3kPa(22.5mmHg)以下にすることと、2時間ごとに仰臥位、左右の30度側臥位に体位変換し、接触圧の高い時間を2時間以下にすることである。
Decubitus ulcers typically show impaired wound healing.

 褥瘡は典型的な遷延性の創傷治癒である。
Conditions most conspicuously protracting normal wound healing are: tissue hypoxia, fibrin deposits, necrotic tissue, local infection, defective migration of keratinocytes, impaired general condition, etc.

 正常の創傷治癒を長引かせている条件は、組織の低酸素状態、フィブリンの付着、壊死組織、局所感染、角質細胞の広がりの悪さ、全身状態の悪化である。
Based on these pathophysiological mechanisms, five therapeutical principles are proposed: complete relief of interface pressure, debridement of necrotic tissue, treatment of infection using systemical antibiotics, wet and air-permeable wound dressing, improvement of patient's general condition.

 これらの病理学的メカニズムに基づいて、5つの治療原則が導かれる。つまり、接触圧の完全な除去、壊死組織のデブリドメント、全身的抗生剤投与による感染の治療、通気性の湿潤ドレッシング、患者の全身状態の改善である。


 これは Review です。

 Review というのは、多くの論文を読んで、それらをまとめたものです。

 ですから、自分の論文の他の論文も含めて、教科書的に書くものです。

 Seiler のまとめたReviewでは、1985年に「患者の動きの能力(mobility)を保つという基本的なこと」と書いていたことなど、すっかり忘れたようです。

 5つの原則の中の「患者の全身状態の改善」の中に入っているのかもしれません。

 しかし、全身状態の改善は、医療の範疇であり、「動きの支援」が主体にはならないでしょう。


 このReviewでは、もうひとつ勘違いが加わっています。

 接触圧を20mmHg以下にすれば、毛細管には20mmHg以上の圧がかからないというのは、工学では初歩的な誤りです。

 接触圧と体内の圧は同じではありませんし、接触圧から体内の圧を推測することもできません。

 体内の圧は応力の一種です。

 応力が接触圧から評価できないことは、褥瘡のページに書きました。

 この論文の接触圧についての推奨は、完全な思いこみです。

 日本でも東大や金沢大学では、「体圧は32mmHg以下にする」という数値目標を掲げています。

 W.O.Seiler と数値が違うことからも、接触圧で体位の妥当性を論じることが非現実的であることがわかると思います。



 1980年代のスイスと2000年代の日本では状況が違います。

 キネステティクやフェルデンクライス・メソッド、アレクサンダー・テクニークなどで「接触と動き」を学習する機会も得られました。

 30度側臥位の迷信から解き放たれるときが来たと思います。

 Seilerが当初、理解したように褥瘡の治療とケアの王道は、「患者の動きの能力を保つという基本的なこと」です。

 マットレスや被覆材や栄養も大切ですが、それは「動きの支援」をしている人が言えることです。

 患者に足りないのは「動きの支援」です。

 柔らかいマットレスを与えて接触圧を下げて動けなくすることでも、介助者が力任せに「動かす」ことでもありません。

 本人の「意識しない小さな動きを支援すること」です。


 どんな体位にすると褥瘡を予防できるかは、「形」で決めるものではありません。

 体位は「形」ではなく「機能」で決めるものです。

 その「機能」は、患者さんの体に触れてみるとわかります。

 キネステティクの用語で言えば「マスはしっかりと、ツナギはゆったりと」マットレスの上で支えられていることです。

 そのためには、たたんだタオルやしっかりしたクッションが役立ちます。

 詳しくは、キネステティクの青本や黒本で読んでください。

 
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