先に述べたような「風呂嫌いの患者さん」と「きれい好きの介助者」の悲劇は、「個人の文化」と「社会の文化」の食い違いに気づいていないことから起こります。
このことに気づかなければ、「何で、わたしの嫌なことをするの!」と患者さんが叫び、「だって、そんな汚いままでは病気になるでしょう」と介助者が言い返すことになります。
これは不毛な戦いです。
「排泄は文化である」ということを認めれば、「個人の文化」と「社会の文化」の違いに気づき、両者をすりあわせることができるかもしれません。
「排泄は文化である」ことを認めて、患者さんの「個人の文化」を認めれば、介助者の行動が変るでしょう。
患者さんの「個人の文化」を変えたければ、「お願い」することができます。
「あなたがお風呂に入って、少しだけでも今よりきれいにしてもらえれば、わたしの仕事はとてもはかどります。
だから、お願いですから、お風呂に入ってちょっとだけきれいにしてください」
とお願いすることができます。
患者さんとの関係によっていろいろな言い方ができるでしょう。
でも、基本的には「お願い」することです。
「風呂に入らないのは不潔だ」という「看護社会の文化」を押しつけても解決しません。
患者さんに「お願い」するということは、拒絶する自由を与えることです。
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