さて、ダイエットに戻ります。

 私がダイエットで学習したのは、「自分の体を動きやすい状態に保つことが幸せだ」ということです。

 そのプロセスとして、おいしいものを味わえるのは、おまけの幸運です。

 おいしいものを食べられたときは、幸運(ラッキー)です。

 幸運(ラッキー) は幸せ(ハッピー)ではありません。


 食べるときに「おいしいから食べる」という考え方では、幸せになれないのです。

 「体が求めるから食べる。そのときにおいしいものに当たったらラッキー」というのが現実なのです。

 「いつでもおいしいものを食べるのが幸せ」というのは幻想かもしれません。

 

 というわけで、必要なのはおいしいものを追い求めることではなく、「自分の体が求めているもの」に「気づく」ことです。

 わたしが太っていたときには、この「気づき」が麻痺していました。

 「自分の体が求めているものに気づく感覚」が麻痺していましたから、食べているものの必要性が判定できませんでした。

 それで、「おいしいと言われるもの」を食べると幸せと思い、おいしいものを食べることに心がけていました。

 でも、「おいしいものを食べたい」と思うだけで、「今、食べているもの」の体に対する価値を感じていなかったのです。

 ダイエットを始めたときには、食べているものの価値をカロリーという指標で判定するために、カロリーブックが必要でした。

 感覚の代わりにカロリーブックという外的基準に助けてもらったのです。

 そして、毎日、体重を測定することで、自分で体重を感じる感覚の代わりにしました。

 つまり、わたしは本来自分の感覚で行うフィードバック・コントロールをカロリーブックと体重計で補ったのです。


 これに気づくと、リバウンドをさけるために必要なことがはっきりしてきます。

 カロリーブックと体重計ではなく、「自分の適正な重さを感じる感覚」が必要なのです。

 「今、必要だから食べている」ことに気づくことができれば、カロリー・ブックという外的な基準は不要になります。

 体重計という外的判定装置も不要になります。

 「自分の体の重さを感じる」という感覚がセンサーとして働くと、食べるという行動をフィードバックコントロールできます。

 いつまでも、「もの」に頼っていては、自由になれません。

 「もの」ではなく、自分が外界ととっているインタラクションを変化させることが大切なのです。

 野生動物では、「自分の重さを感じて食べる」ことは当然のことなのです。

 たぶん、西洋文化に毒されていない地域では、そのようにして生きているのでしょう。

 西洋文化で「美食」というものがもてはやされたために、多くの人が「おいしいものをいっぱい食べることが幸せ」と思いこんでいます。