一人一人が違うということ

 ここで断言はできません。

 皆さん、違うことを感じるでしょう。

 それを認めてください。

 ギャッチアップでは、「座った」と感じない人がいるかもしれません。

 「機械に起こしてもらったら、気持ちよかった」という感想を述べる人もいるでしょう。

 その人は、普段から「自分で動かないことが楽だ」と思いこんでいるだけかもしれません。

 「自分で動いた方が気持ちよい」と感じる人もいるでしょう。

 そう思いこんでいるだけなのかもしれません。

 大切なことは、いろいろな人がいるので、褥瘡の物理的特性だけを基準にギャッチアップを考えるのは、近視眼的だということです。

ポイントとお願い

 「このようにして、起こしなさい」というのではありません。

 このように、いろいろな考え方ができることを知って、
その人の体に触れてください。

 そして、そのときに緊張して、動きを邪魔しているところを感じてください

 その
邪魔している理由を探ってください

 その
邪魔を避けて起きあがることができないかを、体験で探ってください

 
このプロセスを省略して、「この人は、麻痺があるから、ギャッチ・アップ・ベッドが必要だ」と言わないでください。

 わたしは、ギャッチアップに頼る前に、「被介助者の動きを感じて、たりない動きだけを手伝う」という考え方を、介助者が身につけるということをお願いしたいのです。

 介助する人も、介助される人も、何が起こっているのかを了解して、ギャッチ・アップ・ベッドを使ってください。

 これから日本が向かう高齢化社会では、それぞれの持っている動きを感じて、その動きの能力を邪魔しないことが大切ですから・・・。

このページの真の目的

 このページの目的は、現在の褥瘡ケア用のマットレスについての考え方に対する警鐘です。

 角度、圧力、ずれなどの物理的特性だけで、ギャッチアップを考える人々に「感じること」の大切さを理解して欲しいのです。

 物理学で「考えている」世界と、人間が「感じる」世界は違うかもしれないことを理解して欲しいのです。

 最近の看護学、褥瘡の治療の医学には工学の考え方が入ってきています。

 いろいろな考え方をできることはよいことです。

 ただ、人間の外側の測定値だけで、人間の内側の感覚を無視して欲しくはないのです。

 介助に当たる看護、介護の分野の人に「感じる」という能力を捨てないで欲しいと思います。


 特に最近の看護関係者は、数値化ばかりで、「感覚」というもののトレーニングをしていないように、感じるのです。


メーカーへのお願い(このページを読む関係者はほとんどいないでしょうが・・・)

 かつては単純な背上げ機構しかありませんでした。

 現在、メーカーの方の努力により、「人間の手によるお手伝い」をまねしたベッドが増えてきています。

 しかし、メーカーは、そのことをはっきり言わずに販売しています。

 宣伝の文句は、人間より機械が優秀であるかのように書かれます。

 ベッドのヘッドアップ機構を使って、起き上がらせるのが当然であるかのように宣伝しています。

 人間の手の方が優秀なのに、その手を持っている介助者に、「手より機械が優秀だ」と吹き込んでいるようです。

 そして、多くの介助者が自らの「手とからだ」という鋭敏なセンサーと精巧な道具をゴミのように考え、扱ってしまいます。

 
自らの動き方、介助される人の動き方を「感じようとしない」のです。



 ベッドのヘッドアップ機構は最終兵器だとおもいます。

 人間の手では手伝えないときに使うものでしょう。

 介助者の手と感覚を教育することを教えずに、いわゆるギャッチ・アップ・ベッドを販売するのは、マニュアルのないジェット機を販売するようなものです。

 
もし、「人間の手で介助する動きに近づけました」と宣伝してくれるなら、

 介助する人は自らの「手とからだ」の能力を高め、自己疎外することもなくなり、

 被介助者も楽になり、

 メーカーもユーザーから無理難題を突きつけられることも減り

 機械と人間が共存できる
(うーん、このへんは哲学的だなぁ・・・)

 かもしれません。



 なお、私のいうことを聞いても、売り上げの向上は約束できません。

 ただし、Empoyees’ Satisfaction(ES)は上がるでしょう。

 結果的にConsumers’ Satisfaction(CS)も上がるかもしれません。


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