一般意味論の応用

 一般意味論は、「言葉と現実の違い」を感じることを勧めます。

 「・・・である」と表現するかわりに、「・・・かもしれない」と表現することを勧めます。

 この表現は現在のことを表現しています。

 では、未来のことはどうなるでしょう?

こんなことはありませんか?

 なんなのっ、この成績は!

 あなたは大学に行くには、10番以内に入らねばならないのでしょっ!

 まじめに勉強していたら、もっといい成績がとれるはずでしょ。

 もっと、一生懸命やるべきねっ!


 よく考えてみましょう。

 「まじめに勉強」したら、必ず良い成績を取れるのでしょうか?

 一所懸命やることが、今、本当に価値のあることなのでしょうか?

 一生懸命やって、燃え尽きたり、健康を壊したりした人の話は聞いていないのでしょうか?

 「べき」、「はず」、「ねば」は、自分の想像した未来について語る言葉です。

 予想、期待、希望は現実ではありません。

 現実から未来が確定するはずはありません。

 もし、現実から未来が決まるのなら、明日生きる楽しみはなくなります。

 まだ起こらないことを予想や期待する表現の「言葉」を「現実」と混同することが苦しみの元かもしれません。

 「・・・はずだ」、「・・・べきだ」、「・・・ねばならない」、「・・・しかない」という表現をしていることに気づいてください。

 そのときに、「本当にそうだろうか、これは自分がそう思い込んでいる『言葉の世界』ではないだろうか?」と立ち止まって考えてください。

 「言葉の世界」を突き抜けて、「思い込みの世界」に飛び込むのは、賢い生き方ではないかもしれません。 

よく考えたら、こういう意味かもしれません

 試験で10番以内の人が志望大学に入る可能性があるのね。

 もし、それがあなたにも当てはまるなら、成績を上げたいでしょう

 そのためにはもっと勉強すると、安心できるくらい成績が上がるかもしれないわ。