| 従来の創傷治癒理論では、「皮膚が外力により、血流不足になり、壊死になってから、異物反応が起きて炎症がおこる」と考えられています。 しかし、実際の褥瘡をみてみると、次のように考えたほうが理解しやすくなります。
以上のような全体論的褥瘡発生理論からみると、圧、ずれ、栄養、湿潤などの個々の要素を取り上げて褥瘡の予防基準を作ることはできません。 それはアリストテレス的考え方です(一般意味論を参照)。 理論というのは「考え方」です。 絶対にこうだと言うものではありません。 証明は、日々の診療の中で行われます。 一般意味論は一時点ですべて決めようとすることをいさめます。 前のページで「相」の概念を紹介し、褥瘡の評価について、「一時点で将来を決めない」考え方を提示しました。 「そのとき起こっていることをあるがままにみること」を、積み重ねていくと、自然と未来に行きます。 未来になると言うべきかもしれません。 「今」を忘れて、「こうなるだろう」と思いこむと、「早くなおそう」とします。 その人に固有の治癒する速度があることを忘れてしまいます。 「ここに」起こっていることを忘れると、「この本にはこう書いてある」といって、本に紹介されたとおりにします。 そのときのケアは、「ここにいる人」のケアではありません。 システム理論は「全体」を見ることを説きます。 医療や看護・介助の教科書では、人間を全体として見ることを勧めています。 人間を「部分の集まり」ではなく「全体」として感じることが大切です。 分析ツールやガイドラインを作るときに、多くのものが落ちていきます。 言語化は抽象化であり、「そのもの」を表しません。 言語化は習慣的なステレオタイプであることは、マズローも指摘しています。 わたしたちは、言葉を上手に使わなければならないでしょう。 分析ツールやガイドラインの言葉に惑わされると自由になれません。 それらの言葉は目の前で起こっていることを考えるきっかけです。 言葉で分析したら、目の前で起こっていることを感じ直してみて、その言葉が妥当かを確かめて、「全体」を感じなおすと違うものが見えるかもしれません。
「動きの欠乏症」は人間の「全体」に影響を与えます。 褥瘡はその影響の一部です。 「全体」にとって欠乏しているものを、援助することが予防であり治療です。 もちろん、従来言われている要因も褥瘡の発生には関与しているでしょう。 しかし、その要因だけを見て、「全体」にとって必要な「動き」の介助を考えなければ「褥瘡を作らないだけの医療」になります。 全体としての人間への支援からはほど遠くなります。 ケアは褥瘡に対してなされるのではなく、その人に対してなされます。 その人の「動きの欠乏」を感じて、足りない「動き」を手伝うことが第一歩です。 それができて初めて、次の欲求を満たすことが、その人のより高いステージに上がっていく手助けになります。 「動き」を援助するときに大切なのは従来無視されていた「感覚」です。 褥瘡を持つ人と、「動き」を介助する人の感覚です。 足りない「動き」を手伝うことを考慮されず、薬剤やメカニカルな体位変換を提供されるだけなら、褥瘡は治癒しても、人間としての高みからは違う方向へ向かいます。 |
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| この項はいったんお休み(2005/02/13) |
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