実践の観察から

 従来の創傷治癒理論では、「皮膚が外力により、血流不足になり、壊死になってから、異物反応が起きて炎症がおこる」と考えられています。

 しかし、実際の褥瘡をみてみると、次のように考えたほうが理解しやすくなります。


全体論的褥瘡発生理論


 人間と環境は一つのシステムを作っている。このシステムのインタラクションは「人間の動」きである。

 「人間の動き」が欠乏すると、システムのインタラクションが減少し、システム全体が機能低下する。

 この機能低下により、皮膚と軟部組織は何らかの障害を受ける。


 皮膚と軟部組織が、何らかの障害を受けて機能低下すると、ある時点で生体はシステムの構成要素として維持することを不利と判定する。

 皮膚に血流もあり、神経も機能していても、この決定が一方向性で不可逆性となると、皮膚の異物化がおこる。

 一度、異物と判定された皮膚は周囲の組織から攻撃を受ける。白血球が組織を破壊し始める。

 この破壊の結果として皮膚は壊死する。

 皮膚が壊死したから異物反応が起こるのではなく、異物反応が起こったから皮膚が壊死したのである

 組織破壊によってさまざまな物質が細胞内から放出される。

 この放出された物質が情報媒体となり、周囲組織にポジティブ・フィードバックを戻す

 こうして、組織破壊は一方向に爆発的に進行する。

 一方向に進行した組織破壊は、組織の喪失をもって完了する。

 このときに、創の中の主な部分は炎症相から増殖相に変化する。

 外力や内力の不適当な分布、食事摂取の欠乏、肺炎、心不全などの疾患により、増殖相にある褥瘡でも容易に炎症相や異物化相に移行する。

 
Decubitus in decubitusや、褥瘡への感染はそれらの結果でもあり、原因でもある。

 褥瘡が難治性と考えられているのは、「相」の移行の誘因を判定していないためである。

 「生きているシステム」全体としての統合性をサポートされれば、褥瘡はその生体の持つ最大のスピードで治癒する

 治療で治癒が加速することはない

 もし、そのように見えたとすれば、それまでの「治療」が全体としての統合性を欠いていたためである。


 以上のような全体論的褥瘡発生理論からみると、圧、ずれ、栄養、湿潤などの個々の要素を取り上げて褥瘡の予防基準を作ることはできません。

 それはアリストテレス的考え方です(一般意味論を参照)。

 理論というのは「考え方」です。

 絶対にこうだと言うものではありません。

 証明は、日々の診療の中で行われます。

 一般意味論は一時点ですべて決めようとすることをいさめます。

 前のページで「相」の概念を紹介し、褥瘡の評価について、「一時点で将来を決めない」考え方を提示しました。

 「そのとき起こっていることをあるがままにみること」を、積み重ねていくと、自然と未来に行きます。 未来になると言うべきかもしれません。

 「今」を忘れて、「こうなるだろう」と思いこむと、「早くなおそう」とします。

 その人に固有の治癒する速度があることを忘れてしまいます。

 「ここに」起こっていることを忘れると、「この本にはこう書いてある」といって、本に紹介されたとおりにします。

 そのときのケアは、「ここにいる人」のケアではありません。

 システム理論は「全体」を見ることを説きます。

 医療や看護・介助の教科書では、人間を全体として見ることを勧めています。

 人間を「部分の集まり」ではなく「全体」として感じることが大切です。

 分析ツールやガイドラインを作るときに、多くのものが落ちていきます。

 言語化は抽象化であり、「そのもの」を表しません。

 言語化は習慣的なステレオタイプであることは、マズローも指摘しています。

 わたしたちは、言葉を上手に使わなければならないでしょう。

 分析ツールやガイドラインの言葉に惑わされると自由になれません。

 それらの言葉は目の前で起こっていることを考えるきっかけです。

 言葉で分析したら、目の前で起こっていることを感じ直してみて、その言葉が妥当かを確かめて、「全体」を感じなおすと違うものが見えるかもしれません。



 褥瘡は「全体としての人間と環境」のインタラクションの不具合=動きの欠乏で生じます。

 これを還元論的分析をして、「人間と環境」をばらばらにしてインタラクションを無視して、圧力やずれ力、栄養、湿潤、摩擦などとしては「全体」を見失います。



「動きの欠乏症」は人間の「全体」に影響を与えます。

 褥瘡はその影響の一部です。

 「全体」にとって欠乏しているものを、援助することが予防であり治療です。

 もちろん、従来言われている要因も褥瘡の発生には関与しているでしょう。

 しかし、その要因だけを見て、「全体」にとって必要な「動き」の介助を考えなければ「褥瘡を作らないだけの医療」になります。

 全体としての人間への支援からはほど遠くなります。

 ケアは褥瘡に対してなされるのではなく、その人に対してなされます。

 その人の「動きの欠乏」を感じて、足りない「動き」を手伝うことが第一歩です。

 それができて初めて、次の欲求を満たすことが、その人のより高いステージに上がっていく手助けになります。


 「動き」を援助するときに大切なのは従来無視されていた「感覚」です。

 褥瘡を持つ人と、「動き」を介助する人の感覚です。

 足りない「動き」を手伝うことを考慮されず、薬剤やメカニカルな体位変換を提供されるだけなら、褥瘡は治癒しても、人間としての高みからは違う方向へ向かいます。
この項はいったんお休み(2005/02/13)