閑話休題 

コラム

ベイトソンがシステムの精神について語ったことを思い出してみましょう。

 インタラクションの集合は「システムの精神」と見なせます。

 つまり、「生きているシステムA」と「生きているシステムB」が構成要素となったメタシステムを考えると、そのメタシステムにも「メタ精神」があります。

 もちろん、このメタシステムは構成要素のAやBからは全貌を観察できません。

 こうなると、AやBは、もはやひとりだけで生きて行動することはできません。

 「今、ここで」自分が「感じる」ことに対して、できる限りのインタラクションをするしかありません。

 心理療法のゲシュタルト療法を創始したフレデリック・パールズが言ったことです。

ゲシュタルト療法へ寄り道

 コミュニケーションにはいろいろな定義があります。

 どれかが正しいというものではありません。

 コミュニケーションという「関係」が先にあったのです。

 それに名前を付けました。その名前を付けた後に、いろいろなことが分かってきて、くっつけられました。

 ですから、コミュニケーションは、コミュニケーションを論ずる人の数だけ定義があっても不思議でありません。

コミュニケーションのいろいろな定義
インタラクション・プロセス説 インタラクションとしてのコミュニケーションが社会の基本的単位である
刺激−反応説 コミュニケーションは刺激,反応,学習の連続によって習得されるもので 社会調節,管理の手段となる
意味付与説 意味を相手に伝えるプロセスがコミュニケーションである
レトリック(修辞)説 古代レトリックの観点からコミュニケーションを捉えようとする(いろいろな言い方で何とか、考えていることを伝えようとする)

 このサイトで、採用しているのはインタラクション・プロセス説と刺激反応説に近いかもしれません(すべてを学習していないのでわかりません)。