しかし、院長が歩いていて、滑って転んだら、笑うでしょう。

 もし、その後で骨折と診断され、ギプスを巻いていたら、また笑うかもしれません。
 同じことに対して、一方には「かわいそう」と思い、一方には「笑い」で反応する。なぜでしょう?

 
「価値観の逆転」の有無なのです。

 老人は「転ぶかもしれない」と思われています。

 転倒は、老人の属性のようなものです。

 従って、転倒したときには、発生が予測されたことが、起こっています。

 老人は社会的弱者と見られていますから、周囲の人は、自分の方が社会的に高い位置にいると思っています。

 そして、高い位置から当然のごとく反応します。

 しかし、院長には転倒という属性はありません。院長は社会的に高い位置に置かれています。

 院長が転倒すると、社会的に高い位置にあった「院長」という概念が、老人に対して与えられているのと同じ位置まで、文字通り落っこちるわけです。

 ここで、見ている人の「価値観の逆転」が起こります。

 自分が「偉い」と思っていた人の、社会的位置が突然自分より下になるのです。

 これは見ている人自身の判断の基盤がなくなることです。

 自分の思いこんでいたことが現実と違うという証拠を突然見せられるわけです。

 この「価値観の逆転」が「笑い」になります。

 ですから、笑った後には、「苦しさ」が消えます。「苦しさ」は自分の中の価値観から生まれていたからです。