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講演やセミナーをして、お話をすると、「目から鱗が落ちた。大変良い話をきいて、学べました」と言う人がいます。
実は、この人は新しいものは、何も学んでいません。
最初に書いたとおり、人間は体験から学びます。
もし、この受講者が講演を聞いて、「新しいこと」を覚えたとしたら、それは「言葉」を覚えたのです。
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言葉の定義は、「直示」で行うものと、「言葉」で行うものがあります。
スライドを見たり、話を聞いたりという講演は、「言葉を言葉で定義している」のと同じことです。
「言葉」で説明されたものは、もとから知っていたものを「別な言葉」で解説されたことです。
すでに知っていた言葉の中身を組み合わせたものです。
その組み合わせ方について学習していますから、「言葉の使い方」は学習しています。
しかし、「新しいものごとを学んだ」のではありません。 |
また、そのとき学んだ「言葉の使い方」を理解できたということは、それを理解する能力はその人の内部にもとからあったものです。
つまり、「言葉で学ぶ」ということは、「自分の中にあったことがらについて、『気づく』ような刺激を受けた」ということです。
このときには、システムの中には新しい要素は増えていません。
「内側の世界」の大きさはそのままです。(アリストテレスでさえ、学習は自らの中にあるものに気づくだけと考えていました。
「分析論後書」に書かれています。「ギリシア哲学からデカルトへ」参照)
「外側の世界」についての情報が増えたわけでもありません。
「内側の世界」にあったことがらを結びつけるインタラクションに気づいただけです。
このような「言葉による定義」を学習することは、実は新しいものは、何も学んでいないのです。
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