こんなことを言うと、「だって、おいしいものを食べると幸せって感じるでしょう!」と怒る人がいます。

 食事は慣れたものがおいしいのです。

 くさやの干物をもらって、「腐っている」といって捨てた友人がいます。

 でも、私はおいしく食べました。

 フランスの山羊のチーズや中国の猿の脳みそは、とても食べられないという日本人が多いのですが、フランスや中国ではおいしいのです。

 食事は文化です。

 文化は地域や国家の習慣です。

 そして、習慣は先入観を作るのです。


 「おいしい」というのは、感覚を表現しているのではなく、評価している言葉です。

 今食べたものに「おいしい」という属性があるのではありません。

 今食べたものを、あなたは「おいしい」と評価しているのです。

 その評価は、あなたの育った文化の産物です。

 その評価は過去の経験の思い出からでています。

 今、食べたときに感じているものは、「甘い」、「塩辛い」、「酸っぱい」、「からい」、「歯ごたえがある」、「弾力がある」などというものです。

 「味」は感覚でとらえられます。

 その感覚からの情報に基づいて、「おいしい」という評価をしています。

 この評価は思考です。感覚ではありません。


 「赤い」「固い」「温かい」ということは、そのものの属性です。

 しかし、「おいしい」は属性でなく、評価です。

 「この食べ物はおいしい」と思うことが誤解のもとです。

 その食べ物に「おいしい」という属性があるように思いこんでしまいます。

 「これはおいしい」と表現する代わりに、「これを自分はおいしいと思う」と表現すると、誤解しなくてすみます。

 感覚と思考を混同することが自分の体の感覚を麻痺させ、肥満に結びついているのかもしれません。

 それに気がつけば、「おいしい」という言葉だけで食事をとらえることをやめられるでしょう。

 言葉ではなく、自分のすべての感覚で食べ物を感じることができるかもしれません。

 「考えるのではなく、感じることを大切にする」ということは、センサリー・アウェアネスをはじめとして、一般意味論、アレクサンダー・テクニーク、フェルデンクライス・メソッド、そしてキネステティクに共通する態度です。
 

 ここに気づかず「おいしいから食べる」という思考を引きずれば、リバウンドします。


 高価なダイエット・プログラム・サービスにカウンセリングがついているのは、このような理由からです。

 本当に効果的なのは、カウンセリングの方なのです。

 上記のことに気づけば、ダイエット製品やサービスなどを購入する必要はありません。


 


 ここでダイエットについて書いたのは、「この通りやれば、成功する」ということではありません。

 「もの」ではなく、自分が外界と行っているインタラクションが問題なのだということです。

 ですから、ダイエットはサイバネティクスの問題なのです。
 

 追記

 これは「おいしいものを食べるな」と言うのでも、「おいしいものを作るな」と言うでもありません。

 「おいしそうだから、食べよう」と思ったときには、「体は求めていないが、おいしいという記憶を呼び覚まし楽しむために食べている」と気づくと良いですよと言うのです。

 気づいて食べていれば、記憶を呼び覚まして満足したところでやめられます。

 気づかなければ、「やめられない、止まらない××えびせん」になります。

 気づかなければ、袋がカラになるまで、棚がカラになるまで、店がカラになるまで食べつくすかもしれません。

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