びっくりしたでしょう?

 現実の方が、小説よりもずーっとおもしろいのです。



 わたしは、最初にエリスの側からの解説を読みました。

 そのときは、「なんてことだ!とんでもないことが起きている!」と憤ったのです。

 しかし、研究所の側からの解説を読んだ後では、変わりました。

 これは、ゲシュタルトの問題かもしれません。

 同じものを違う視点から見て、論じているのです。

 エリスの側はエリスが研究所に貢献してきたことと、エリスの健康にかかるお金、それに妻に対するエリス個人の評価の点から、研究所の理事会の決定を論じています。

 理事会は、REBTの免税団体、教育機関としての非営利団体としての存続、理事会の責任追及の点から論じています。

 ですから、当事者でないわたしが憤ったのは、愚かなことでした。



 この事件は、いろいろなことを考えさせます。


 個人を守るのか?、組織を守るのか?

 アメリカでは、病気を持つ92歳の男性に、こんなに高額な看護費用がかかるものなのか?

 アメリカの、そんな高額医療を良いものだとして追いかける日本の医療はどうなるのか?

 ・・・・



 このような問題には、「正しい」答えはありません。

 裁判の判決は、今の社会の決め事にのっとった回答です。

 けっして、「正しいもの」ではありません。

 心理療法、実存主義を良く学習した人々でも、社会の中では、不都合なことに見舞われます。

 ですから、わたしたちのような普通の人々は、トラブルの続く人生を歩むことに、不思議はありません。

 「来るものは来る」のです。

 できることは、来たものに対して、「今、ここ」でできることを返していくことです。

 それをフィードバックと呼びます。



この後は、エッセイの目次に戻り、「ドクター・エリスの実践2」をお読みください。

pre エッセイの 目次へ戻る