発達が他の人とは違う人達

昨日は発達が他の人とは違う人達のいる施設の往診でした(医学の診断としての「発達遅延」とか「発達障害」という言葉は,多くの人たちが発達する速度や到達点を基準にしています.勝手な話だなぁと思います).

この方達は,抽象的言語は理解しません.ですから,具体的な言葉,今ここにある物やコト(コトは物よりも抽象化が増します)についての言葉で語りながら,その言葉を実際に行動に移しながら語らなければ通じません.そのような体験をしながら使われた言葉は「意味のある」言葉として記憶されます(どのくらい続くかはわかりません).

このような方と一緒に動くときは,自分の思考の抽象化を下げて,子供のように物事を素直に受け入れる態度で行うと,問題は生じにくいようです.逆に,言葉だけで指示すると,あなたのやりたいことは絶対に実現できないでしょう.

あなたが子供の時に言語を習得したのは,このような体験から意味を知るというプロセスがあったからです.「体験からの知識」です.その後に,「言葉で言葉を定義する」というレベルの「言語のみからの知識」を得るようになりました.小学校から始まります.

このように体験したこともないのに,言葉で語るという行動を獲得します.社会的には,賢いとか物知りと言われます.でも,言葉の意味を知らないのです.テレビに出てくるコメンテーターと言われる人に多いです.

「介助というか?リハビリと言うか?」でお見せしたことは,「実際にできない人は,教えられない」ということでした.

医師の教育,看護師の教育,セラピストの教育の中で,最初に専門用語の意味を教えられます.でも,実際にできないのです.私の医学生のときの解剖学の教育は,単に言葉の記憶でした.骨を見ても,その骨の機能を知らないのに言葉だけ覚えるのです(患者さんの動きを診るようになって,その言葉の意味を知りました).愚かな教育です.言葉の前に体験をして,そこに言葉を付けていく.そして,その言葉を使って考えるようにしていくと,まともな人間になります.

私達と違う発達をしている人は,私達の違う言葉を使って考えているかも知れません.彼らはその言葉の意味を変えることは難しいでしょう.私は変えられます.一人ひとりのその時の体験に合わせて,言葉を変えて話せることがコミュニケーション能力の基本です.お釈迦様は,話す相手によって言葉を変えたといいます.当然ですね.驚くことはないのです.

最近の医師,看護師,セラピストは実体験していないのに図やムービーで言葉を教えられ,実体験していないのに患者さんに「ああしろ,こうしろ」と「指導」する人が多いです.

ああ,やだ,やだ.自分のできることを,その時の言葉で語りましょう.そして,自分の頭の中の言葉は,体験から学んだ意味を再構築できる言葉にしましょう.そうして,やっと分析できます.

多くの人は,何を書いているかわからないでしょう.キネステティク・クラシック・ネオのパーソナルコースの受講をするとヒントになるかもね(あっ,あからさまなコマーシャルだ).