エリスの論理情動療法

個人的学習用に翻訳したものです。引用、転載はだめよ。

Ask Dr.Ellis 2005/02月
質問

 大きな視点から見ると、人間は個人としても、生物の種としても、現実には死を待っているだけなのに、できるだけ生きのびて、人生に何らかの意味を作り出そうとしているように見えます。

 「論理情動療法」でも、これが現実であり、この現実を認めその中で最善を尽くすということが人生のすべてだと認めているのでしょうか?

回答

 そのとおりです。

 命を永遠に長らえる方法が見つかるまでは、人間はみんな死ぬのですから、この質問は人生とは何かを知る良いチャンスです。

 仏教ではこのことを2500年前に指摘し、死は避けられないものであるから、それを恐れることをやめ、穏やかに受け入れることが教えられてきました。

 昔のギリシャやローマの哲学者は、とくにストア学派は、「人間はみんな死に、死んだ後には何も感じず、何も望まず、何も考えないのだから、死について恐れることがあるだろうか」と問いました。

 論理情動療法もほとんど同じ立場をとります。

 現在、人間が永遠に生きることはできず、どうすれば永遠に生きられるのかが見つかる可能性がきわめて薄いのは残念なことだと思います。

 ですから、賢い人は死を無条件に受け入れ、たいしたことではないと見て、生きている間はできるだけ楽しもうとします。

 論理情動療法はビクター・フランクルと多くの実存主義者の視点も受け入れています。

 つまり、人生は生まれながらに目標、目的、意味があるのではありません。

 しかし、人間は生きている間、経験とともに、自分のために重要とおもわれる「意味」を作り組み立てることができます。

 自分が精力的に追い求める価値と目標を作り出すことができます。


 ほとんどすべてのものが価値を持ち、目標になりえます。昆虫を分類するところから始まり、アルフレッド・キンゼーがやったように性行動を研究したり、スポーツや食べ物、チェス、テレビ、人間関係、その他の数え切れないほどの娯楽まで含みます。

 ボブ・ハーパーとわたしが1961年に出版した「論理的生き方のガイド」で指摘し、多くの小説家や劇作家が書いているように、いろいろなものに精力的に興味を持ち、何かを選んで、何らかの到達目標とすることは、人生を幸せなものにする一つの方法です。

 自分がどっぷりとつかることのできる目的、決心、計画、趣味を積極的に情熱的に追うことは、人生を豊かなものにします。

 もちろん、いつでもというわけではありません。

 アルコール中毒や性的児童虐待などはトラブルになります。

 しかし、健全な中毒はあなたや周りの人にとって役立つかもしれません。

 今の恋人以外の人と恋に落ちるとか、そのために離婚するとか、政治のためや社会のために離婚する、または慈善事業や科学的研究のために離婚するということもあります。

 旅行したいとかクロケットの試合のためというまったく自己中心的なことが原因かもしれません。

 それがあなたをわくわくさせ、他の人を傷つけない限りは、その流れに乗っていけます。

 そのために他の人が非常に冷たくなるかもしれませんが・・・。

 しかし、異常なほどの強迫観念的動機が多すぎると、有害なことはないでしょうか?

 そうです。ときどき、特に自尊心と結びついているときはそうです。

 最高の作家、芸術家、野球選手になろうとして必死に頑張ることは、時間やエネルギーを浪費しているかもしれません。

 そして、そのように考えると、自分の価値というものをどれだけすばらしい業績を上げたかで計ろうとするかもしれません。

 それはあぶない!そんなことをするかわりに、自分がいかに優秀かを見せる必要がなく、上手にやることに集中できるなら、たとえ自分を最良の人間にすることに失敗しても、無条件に自分を受け入れることができます。

 精力的な興味を極端に推し進めると、とにかく必死にがんばってそれを成し遂げようとし、結局ひどく幻滅することになるかもしれません。

 両極端の間のアリストテレス流の「中庸」を行くというのはどうでしょうか?

 なにかを成就させることにシャカリキにならずに、興味ある探求に没頭することができます。

 どうも、やるべきことは、善良で意味のある中毒にかかることのようです。

 自分のためにいくつかを試してみてください。

 元の質問に戻って、論理情動療法は、「人生自体に本来的な意味はない」という現実は受け入れます。

 しかし、人間はひとりひとりがユニークな存在として、自分の人生を自分にとってとても意味のあるものにすることもできると思います。


 自分にとってだけではなく、他の人にとっても意味深いものにできかもしれません。

 そうです。

 生きるのにばかげた幻想を持つことはありません。

 奇跡なんか起こさずとも、「意味」を作り出したり、見つけ出したりできます。

 それを自分のために合わせることも、愛する人のために調整することもできます。

 自分が積極的に働きかけさえすれば、人生に本当の重要性を与えることができます。