分析医の行っていることは、クライエントの問題を、固着の生じた時点に戻して解決を図ることです。
ゲシュタルト療法のパールズが心理劇や「ゴールデンシートとエンプティシート」という手法で行ったことです。
問題は発生した時点で解決しなければならないのです。
フロイドとパールズの違いは、「解釈するかしないか」です。
フロイトは精神分析や夢分析という手法で分析しました。
パールズやロジャースはクライエントの存在に興味を持ち、質問をしました。
パールズやロジャースは、クライエントを解釈しません。
分析をしてバラバラにして部分を考えようとするフロイトと、人間は全体として存在すると考えた第三勢力の人間性心理学のロジャースやパールズとの違いは、この「解釈するか、解釈しないか」なのです。
分析すると、物事はバラバラになります。
分析の過程で、大切なものや小さなものは落ちていきます。
分析が完了したときには、分析した人間の主観で評価した状態です。
実際に存在したけれど、分析した人間には感じられず、解釈されなかったものが落ちてしまっています。
また、分析する人間が、誤って解釈したものは、全体の理解をねじ曲げてしまいます。
これがすべての「分析」の欠点です。
分析したものをくっつけても「全体」は再現できません。
このように分析は危険性をはらんでいます。
フロイトのように洞察力の鋭い人間ができることです。
誰もができるわけではありません。
このようにして、精神分析は活力を失い、「解釈をしない」で、「あるがままを認める」というカウンセリングが主流となっていきました。
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