フロイトは不安を抑圧と結びつけて、人間の行動を理解しようとしました。
その一つとして期待不安という考え方を提示しました。
この「生きている限り、逃れられない不安」を、ドイツの哲学者ハイデガーは「存在論的不安」と呼びました。
人間は感覚で世界を捉えます。
感覚で道具を感じ取り、使うことができます。
そうして、自分の周りの世界に働きかけます。
このように感覚で捉えられるものを、ハイデガーは「道具的存在」と呼びました。
ところが、周りの世界は自分の感覚の及ぶ範囲より遠くもで広がっています。
自分の目に見えないところで何かが行われ、テレビで報道されます。
自分の耳に聞こえないところで何かが起こり、ラジオで流れてきます。
自分の手で触れられないところで何かが起こり、銃弾が飛んできます。
さらにそれらがお互いにインタラクションして、何がどうしてという理由もわからないままに、次々と周りの世界は変化していきます。
自分の感覚で感じ取れる道具的存在の世界ではない、「全体」としての世界からインタラクションを受けます。
生きる目的も明示されずに、この世界に生まれ、何をすればよいのかも指図されずに生きていくのです。
自分の存在が先にあることだけが、確実なことです。
自分の存在以外に確実なことは何もありません。
これは不安なことです。
ハイデガーは、このような不安は人間が生まれながらに持つ「存在論的不安」だといいます。
人間は生物として等しい存在です。
フロイトもハイデガーも人間ですから、同じことを感じて、違う言葉で表現したのかもしれません。
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