期待不安と現実不安
フロイトの時代 4

 1873年にフロイトは医学部に入学し、卒業後、神経生理学の研究室に入ります。

 1882年、オーストリアはドイツ、イタリアと三国同盟を結びました。

  もちろん、フランスを孤立させることがねらいでした。


 1886年、フロイトは臨床家として開業しました。

  当時はユダヤ人が大学で教職を得ることは難しかったのです。

 1888年、ドイツ皇帝、ヴィルヘルム1世が死去します。

  その後を継いだ、ヴィルヘルム2世は植民地拡大政策を進め、社会主義者鎮圧を続けました。

 1890年、このような強攻策に賛意を示さなかったビスマルクは首相を解任されました。

  ビスマルクの巧みな外交により、均衡を保っていた政治的バランスは、このときから、だんだんと崩れていきました。

  社会的な緊張が高まっていきました。

 1900年、フロイトは「夢判断」を書きました。

 1907年、ドイツの成長に警戒したイギリス、フランス、ロシアが三国協商を結びました。

 1908年、フロイトはユングらとともに国際精神分析学会を発足させました。


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