反転 Valid HTML 4.01!
リトロフレクション retroflexion

リトロフレクション 「私自身がしっかりしていなかったから、こんなことになったんです。」

 よく聞くセリフです。このとき、本人は「私自身」という第3者のことについて話しています。

 「私自身」という言葉は、「自分の」のことを示しているのですが、この言葉を使っているときには、「私自身」は「私」という自分ではありません。

 このような人は、自分を守ろうとして、はっきりした境界を造るのですが、その境界を自分の内側の世界に作ってしまいます。


 環境と適正なインタラクションをしたくなければ、「今、ここ」にある境界を感じることは面倒くさいことです。

 そんな人にとっては、自分の内側の世界に自分で境界を作る方が簡単です。

 「私自身がしっかりしなければならないのです」と言う人は、「私がしっかりする」のではなく、「私」以外の「私自身」という第3者がしっかりしなければならないと言っています。

 本来自分の一部である「私自身」を内側の世界である「私」から切り離しています。

 そして、自分の中なのに切り離した一部を 別の人格であるかのように非難しています。

 非難している本体は非難されていませんから、何も反省していません。

 また同じ不具合を起こすでしょぅ。

 客観的に見ているように見えますが、結局、自分と環境の境界を感じていません。

 考えて作った偽の境界を本物と思い苦しみます。

 自分の外側の世界だと思っている「私自身」に対して求める要求は、結局自分の内側の世界ですから、自分に返ってきます。

 あたかも、外側の世界に対するインタラクションが、自分の内側に作った境界で反転して自らを攻撃するようです。

 「私自身が・・・」、「私自身を・・・」としきりに言う人は「自分と環境の境界を見失い、自分を忘れている」のかもしれません。

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