わたしは、葬式や法事をしますが、「信仰」を持っていません。
わたしの母は未だに「おまえは常識がないから・・・」と、わたしが仏事に関心を持つように説教しようとします。
信心の深い人々から見れば、「無礼、不遜」に見えるのです。
わたしは信仰をしませんが、信仰を持っている人の存在を否定する気もありません。
「信仰を持っている人」の存在を認めることが、「信仰を持っていない自分」の存在を許してもらうことになると思っています。
ここに書くことを「不信心だ、不遜だ、生意気だ」と感じる方がいるかもしれません。
しかし、わたしは単に「自分が気づいたこと」を書きたいだけです。
ここに書くことは、「信仰」とは直接的な関係はありません。
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