大切なことは、「そのおじいちゃんが、なぜ水道の栓を壊すのか」という原因を追及することでは問題解決しないということです。

  そのおじいさんは、かつて水道を直すことで、ほめられたことがあるのかもしれません。

  でも、そういう解釈は過去のことを考えていることです。

  「今、ここ」の解決になりません。

  「今、ここ」で行うことは、そのおじいさんは「自分の行動を認められるように行動する」という現実を認めて、それにフィードバックをかけることです。

  その結果が、寮母さんたちの発見なのです。



 認知症の人に足りないものは、認知能力です。

 その認知能力の欠乏を補って、手伝うものは質の良いフィードバックです。

 その人が社会の中にいて、認められているというフィードバックです。

 このような「気づき」、発見が大切だと理解されると、さらに質の良いフィードバックがかかるかもしれません。


 現在の日本の医療、看護では統計が重視されています。

 多くの症例から共通することを見つけて、それが真理であると考える人が大半です。

 でも、そんな共通する真理はないのかもしれません。

 大切なのは、その人を見て「気づく」ことかもしれません。



 
  2005年現在、認知症が社会の問題になっています。

  認知症については、その対処方法も手探りの状態です。

  「人間は周りの人間からのフィードバックによって、自分のしていることがわかる」というのは、行動サイバネティクスの考え方です。

  ノーバート・ウィナーが高射砲の動きの精度を高めるために研究して開発したサイバネティクスの考え方が、認知症の行動の理解に役立つかもしれません。

  また、「内側の世界」と「外側の世界」というコージブスキーの一般意味論、「違いを作る違い」を教えたベイトソンの認識論、「全体」としてのゲシュタルトを見るパールズ、エリスロジャースの「今、ここ」の考え方、このサイトに納めたあれやこれやが認知症の理解に役立つかもしれません。

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