わたしの仕事には、健康診断があります。
毎日、11時半から11人の受診者の診察をして、血液検査やや胃のバリウム検査などの結果を説明し、今後注意した方がよいことを話します。
正直に言うと、これはとてもおもしろいとは言えない仕事です。
たいていの人は、健康上の問題意識を持っていません。
みなさん、「自分が健康だ」と思い、それを証明しに来ています。
ですから、わたしは「こうしなさい」とは言いません。
「こうする方が今後、楽だと思います」くらいにします。
どうせ、そのときにあったばかりの人の人生を理解しようとしても無理だからです。
お説解すると、いやがられます。
とてもおもしろいとは言えない仕事でしたが、ジュディス・ウィーバーのセンサリー・アウェアネスのワーク・ショップを受けてから、ちょっと変わりました。
ジュディスのワークショップでは、呼吸を重点的に探求しました。
自分は本来楽に呼吸できることを知りました。
また、何かをしようとした途端に、呼吸を変化させて苦しくしていることも、確認しました。
というわけで、仕事を楽にするには、呼吸を楽にすることから始めると良いかもしれません。
まずは、触診の時の自分の腕です。
健康診断の時には、お腹を触れて、異常な抵抗やしこりがないかをみます。
今までは自分の腕を持ち上げて、掌をつけて触れていました。
これは「自分から触っている」コンタクトです。
手関節から先を使って相手の体の情報を得ようとしていました。
でも、腕を持ち上げていると、そのための筋肉が収縮するので、わたしの胸郭の動きが制限されます。
呼吸は苦しくなるし、腕を持ち上げるという筋肉の力のために、腕全体の「感覚」は鈍くなります。
試しに、腕を相手の体に預けてみました。
結果的に、前腕が相手の腹部や胸部に触れます。
セクシャル・ハラスメントと言われないように、接触する部分には留意します。
腕を受診者に預けると、腕全体で相手の呼吸がわかります。
そして、掌も楽になります。
なんと言っても、わたしの呼吸が楽になります。
まず、自分が楽でなければ、相手のことなどわかりませんから、良いことに気づきました。
「これで健康診断の場はわたしの感覚の稽古場になった」と思い、密かに喜んでいました。
ジュディスには「日常生活の場で、センサリー・アウェアネスのトレーニングを続けていくよ」と約束していたからです。
そうして、1ヶ月が過ぎたとき、健康診断に30歳前後の女性が来ました。
検査値に異常はありません。
でも、触診すると、「何か変?」なのです。
お腹の筋肉の下の方が緊張しています。
でも、腹筋の上の方は呼吸とともに比較的大きく動いています。
「便秘がちですか?」と聞くと、「はい」と言います。
しかし、それだけではない、なんか変?
心臓の音を聞くために聴診器を当てます。
胸郭の動きが小さい。
胸郭の筋肉が呼吸を妨げているようです。
聴診器をはずして、「ちょっと、触れますよ」と言って、上部肋骨の前面を呼吸に合わせてアシストしてみました。
動きます。
少し大きく動くようになりました。
下部肋骨の前面を押して、呼吸を邪魔してみます。
胸郭の上部の動きが出てきました。
「なるほど!」
「はい、よろしいですよ。こちらに座ってください」と言って、椅子に座ってもらい、話を聞きます。
「何かスポーツをしていますか?」
「いいえ、吹奏楽でトランペットを8年やっていますけど?」
ピンポン!!!
「わたしもトランペットを吹くのですが、
まだ習って4年くらいです。実はあなたの呼吸が気になったので、ちょっと押させてもらいました。
腹式呼吸をしなさいと言われていますよね?」
「はい、そうです。」
「あなたはトランペットを吹くときに指導されたことを、普段もしています。
ですから、お腹の筋肉が呼吸で使われています。
でも、呼吸に使われる胸郭についている筋肉は固まっているのです。
ちょっと、横を向いてください。・・・」
楽に呼吸するときには、胸郭が動いて、いわゆる「楽に胸が上がる」状態になっていることに気づかせました。
次に、アレクサンダー・テクニークで教わったWhispered Ah 「ささやくアー」を体験させ、首の後ろの緊張を低下させて、「のどが開く」感じに気づかせました。
そのとき、息を楽に吐くことができ、首の周りが楽になることを感じさせました。
「そうなんです。
わたしだけが首の周りの緊張を抜けないと言われていたんです!
喉が開くのがわかります」と言われました。
「多くの吹奏楽の教師は、腹式呼吸をして、頬に力を入れて唇をすぼめることを指導します。
しかし、その頬の緊張は首から胸を締め付けます。
あなたは腹式呼吸をしようと意識するあまり、胸郭を動かさないようにしていました。
それが首の緊張、喉の緊張を生んでいました。
呼吸には『いつでもこうするべきだ』というものはありません。
いろいろな状況で、いろいろな呼吸をできることが能力の高さです。
自分にとって良い呼吸とは、胸式呼吸と腹式呼吸がそのときに合わせて楽にできるものです。
体を楽にして、自分の吸った空気を吐くことで、歌うことができます。
あなたは吸った空気を開いた喉を通して、唇まで持ってきてその振動でトランペットで歌うことができます。
歌うように吹けと言われませんか?」
うっ、調子に乗ってしまった。
この人はトランペット歴、8年でわたしよりうまそう。
「では、今日は健康診断ですから、
トランペットの演奏法を話してはいられません。
えーっと、身長と体重はやせ形ですけど、問題ありません。骨密度は・・・」と、仕事に戻りました。
この人は、「トランペットを吹くときは、腹式呼吸でしなさい」という指導を、鵜呑みにしていました。
パールズがイントロジェクションといったものです。
そして、自分の「感覚」で呼吸することを忘れ、日常生活の中にまで、その「鵜呑み」したものを取り入れました。
この「鵜呑み」したもの、自然ではない呼吸を「なにか変?」と感じたのでした。
トランペットは、自分の中にあるものを、楽しく自然に外側に出すものです。
expression「表現」です。
その表現のために、大切な筋肉を固めてしまっては、表現できません。
吹奏楽の指導書には、「トランペットは腹式呼吸で」と書かれています。
とくに、クラシックの奏者は、そのように書きます。
でも、ジャズの人たちは違います。
そんなものは、気にしないのです。
演奏のために正しい呼吸法はありません。
自分が何をしているかがわかれば何をやっても良いのがジャズだからです。
実は、このことはトランペットに限ったことではありません。
呼吸は生きているための基礎です。
呼吸を「かくあるべし」という考えで締め付けると苦しくなります。
そんな考えを捨てて、「今、ここ」で感じていることを大切にすると、楽に息することができます。
その延長線上に「かくあるべし」という「鵜呑み」を捨てると生きていること自体が楽になると思います。
。
このエッセイの目的は、もちろん、「自慢」です。
「どんなもんだい、ちゃんとセンサリー・アウェアネスのワークショップや、アレクサンダー・テクニークなどで学習したことを自分の生活に活用できているんだぞ」と自慢したいのです。