2005/07/2-3に士別で初めてのアレクサンダー・テクニークのワークショップが開かれました。 講師は石井ゆりこさん。5月に札幌でワークショップがありました。 ネットで開催をみつけて、職場のベーシストの中森くんを誘って参加しました。 同じく参加していた平賀さんが「士別にもお呼びしたい」と言い、わたしが協力する形で開催になりました。 受講生が集まるかどうか心配でしたが、予約受付を開始すると、すぐに埋まりました。 アレクサンダー・テクニークを知っている人は、札幌で参加した3人しかいないのですが、噂だけで集まってきました。うーん、実体ではなく、言葉で広がる情報社会の恐ろしさですな。 |
|
いろいろやりました。 その中で、写真を撮ったものと、わたしの受けだ個人レッスンで感じたことを、ちょっと紹介しましょう。 あくまでも、わたしが感じ考えた範囲内の解説です。 初日はグループワークでした。 まずは自己紹介を兼ねた簡単なゲームで開始です。 お手玉を投げて、受けとった人が参加の動機を話し自己紹介をします。 えっ、つまんないですか?あまいなっ。 これはセンサリー・アウェアネスでわたしが「石のワーク」と呼んでいるものと、同じものを学習させます。 非言語的コミュニケーションの実体、コミュニケーションに必要な時間とフィードバックの「動き」、コミュニケーションに使われる「力」と感覚を実際から学習できます。 ただし、気づかない人は気づきません。当たり前ですな。 実はわたしが上のことに気づいたのは、1週間後でした。 アレクサンダー・テクニークは効果が長続きしますが、効果が出てくるまで時間がかかるものです。わたしだけかも知れませんが。 自己紹介の後は、解剖から入ります。ボディマッピングです。 頭と首の境はどこか、頭はどう動くのか、首はどう動くのか、上肢の根元はどこか、下肢と胴体の境はどこかということを、骨の模型と図を使って説明し、自分の体を動かして理解を促します。 椅子から立ち上がるときの動きで、自分の解剖、特に首、股関節、膝の動きを感じさせます。 おもしろいのは、多くの人が「自分の体が何をしているか」を確かめようとして、「動かす」ことです。 わたしが最初にアレクサンダー・テクニークのレッスンを受けたときもそうでした。「動かした途端に、そのときの感じではなくなる」と言われてもわかりませんでした。 後になってから、体で理解できました。 動いているときと、静に呼吸しているときでは、物質としての体は同じでも、状態という情報は違います。 それに気づかないと、そのときの状態を知ろうとして動かしてしまいます。 その途端に、知りたい物と違う情報をつかんでしまい、自分の普段の体の使い方を修正できないままになります。 フェルデンクライス・メソッドは単純な小さな動きで、体の動き方を学習しますが、アレクサンダー・テクニークでは、あるがままを感じることで、体を学習します。微妙です。 首から下の脊椎の使い方を知るために、ライオンになってみます。 うーん、この写真は「怪しい」ですね。 いわゆるボディワークの写真は、まるで新興宗教のように見えるので、困ります。 |
|
ライオンの後には、人間に進化して、脊柱を立てて使うことを学習します。 うーん、この写真も「怪しい」。 でもなんとなく、楽に歩いているように見えるでしょう? どこかに力を入れて、わざとらしく歩くのではなく、自然に体のあるがままを認めて歩くことを学習しました。 |
|
|
|
翌日は個人レッスンでした。トランペットを持っていって、演奏の時の体の使い方のチェックを受けました。 多くの人は「自分の体のことはわかっている。どんな使い方をするかを他人に尋ねなくてもわかる」と思っています。 しかし、習慣となった動きは、本人に「違い」を感じさせませんから、修正できません。 習慣的な動きをくり返している人は、自分が何をしているかわかりません。 石井さんは、トランペットを吹くことはありませんが、そのときのわたしの動きや体の使い方を見て、不自然なところを指摘します。 しかし、「ここをこうしなさい」とか、「ここがおかしい」とは言いません。人間の動きに正しいということはないからです。 ただ、「ここをこうしてみたらどうでしょう」とか、「ここをこうしていますね」と言います。 ときには、その部分に軽く手を触れます。 しかし、決して「力」を加えません。わたしが「今、自分は力を入れている」と感じるだけの接触です。 システム理論の「欠乏の認識」のページを読んだ方は、おわかりになるでしょうか? 「システムは内部だけで自己修復不可能なときは、欠乏を認識して、外部から最小限のエネルギーを受け入れ、システムの中に情報を作り出して、自己修復を行なう」というシステム理論の実践になっています。 自分のやっていることを指摘されると、わたしはその情報をもとにして、自分の体の使い方を修正して、体の感覚を使って結果を確かめることができます。 体の感覚はセンサーですから、これはフィードバックを得て行動を修正するというサイバネティクスそのものです。 このようにして、体の使い方を学習し、自分がこのようにして学習していることを学習しました。 つまり、アレクサンダー・テクニークのワークから、ベイトソンの言う「学習の学習(二次学習)」をすることができます。 |
|
アレクサンダー・テクニークのワークショップのワークの一つ一つを言葉では説明できません。 上ではいろいろな理論の言葉を用いて説明しましたが、それらの言葉も実践で「意味」をつかんでいなければ、空虚なものです。 実践には言葉で表現できない、おいしいところがいっぱいあります。 このサイトを読み進んでいる人なら、理解してもらえるでしょう。 もし、理解できなければ、アレクサンダー・テクニークのワークショップに参加することです。 もし、あなたがわたしのように、わがままで、勝手な人間なら、石井さんはわたしと対極にいる静かな人ですので、とてもよい学習をできるかもしれません。 体験でしか、わからないものがあるのに、言葉だけで理解できると思いこんでいる世界の恐ろしさに気づくかも知れません。 わたしにとって、今回の最大の収穫は、自分の「上肢の先端」に気づいたことです。 「また、怪しげなことを書いている」と思うでしょう? 成果は、後日、「感じる解剖」で解説します。お待ちください。 |
|